claudio baglioni:il Giornaleインタビュー2009年6月 ② |
(続き)
--2月には映画Q.P.G.Aが公開、3月には小説も出版
されました。6月12日からローマからアルバムQPGAの
ツアー開始です。拷問ですね。
「ポップミュージックはタイムマシーンみたいなもので、他の
時代に連れて行ってくれるんだ。このアルバムQPGAのリバイバルは
リメイクされて新しい作品になった。」
--Questo・・・は20世紀を代表する曲に選ばれましたが、もし
あなた自身が曲を選ぶとしたら?
「ビートルズのイエスタディだね。シンプルで教育的だよ。」
--あなたの書いた若者の愛の歌を楽しむための理想の季節は?
「夏だね。いつまでも続く波打ち際で。でも音楽は集中して聴かないと。
そうでないと無駄な時間になるよ。」
--あなたのルーツはウンブリアですね。中世ペルージャの貴族、
バリオーニ家と縁戚関係がありますか?
「家系図を調べてみた事があるんだ。何かしらの関係があるのは
見つけたんだけれど、やめてしまったよ。無意味だからね。」
--父親は憲兵、母親はお針子です。控えめなのはそのせいですか?
「2人とも田舎を出て結婚して、わたしはローマで生まれた。一人っ子で
東部の郊外で育った。モンテサクロ、チェントチェッレ、プレネスティーノ。
自然科学の勉強をしたかったけれど、住んでいる地区にそのための
高等学校はなかったんだ。だから測量技師のための学校に行ったよ。」
--再び履修した建築学科を53歳で卒業しました。
「わたしがどれだけまごついたか分かるかい?もうすでに
有名人で、周りはみんな若者なんだよ!
最初は2つの違うメガネをかけていた。でも自分自身に
埋め合わせをしたかったんだ。測量技師っていうのは
それほどシックじゃないからね。(笑)」
--今やあなたはすばらしい家に、使用人に、高級車を
手に入れたスノッブですよね。
「車はね、90年に交通事故を起こして以来運転して
いないし、もう興味がないんだ。でもパリオリに住んでいる
ということは、建築家の前にいるということだね。」
--高級住宅地ですね。まぎれもなく。
「なぜかと言うと、子供の頃わたしのおばがパリオリの
住宅のメイドをしていて、日曜日に家の主人が外出して
しまうと、その家に招待して部屋の中を案内してくれたんだ。
沢山の部屋に驚いたよ。それから年月が経って、わたしも
そこにたどり着いたというわけだ。」
古い不安を明らかにして、社会的な安全にたどり着いたのだ。
「棒高跳びのバーを飛び越えたみたいにね。」
(続く)
記事執筆:Letterina
翻訳協力:Pettinelli
CLAUDIO BAGLIONI NIPPON/クラウディオ・バリオーニ・ニッポン
--2月には映画Q.P.G.Aが公開、3月には小説も出版
されました。6月12日からローマからアルバムQPGAの
ツアー開始です。拷問ですね。
「ポップミュージックはタイムマシーンみたいなもので、他の
時代に連れて行ってくれるんだ。このアルバムQPGAのリバイバルは
リメイクされて新しい作品になった。」
--Questo・・・は20世紀を代表する曲に選ばれましたが、もし
あなた自身が曲を選ぶとしたら?
「ビートルズのイエスタディだね。シンプルで教育的だよ。」
--あなたの書いた若者の愛の歌を楽しむための理想の季節は?
「夏だね。いつまでも続く波打ち際で。でも音楽は集中して聴かないと。
そうでないと無駄な時間になるよ。」
--あなたのルーツはウンブリアですね。中世ペルージャの貴族、
バリオーニ家と縁戚関係がありますか?
「家系図を調べてみた事があるんだ。何かしらの関係があるのは
見つけたんだけれど、やめてしまったよ。無意味だからね。」
--父親は憲兵、母親はお針子です。控えめなのはそのせいですか?
「2人とも田舎を出て結婚して、わたしはローマで生まれた。一人っ子で
東部の郊外で育った。モンテサクロ、チェントチェッレ、プレネスティーノ。
自然科学の勉強をしたかったけれど、住んでいる地区にそのための
高等学校はなかったんだ。だから測量技師のための学校に行ったよ。」
--再び履修した建築学科を53歳で卒業しました。
「わたしがどれだけまごついたか分かるかい?もうすでに
有名人で、周りはみんな若者なんだよ!
最初は2つの違うメガネをかけていた。でも自分自身に
埋め合わせをしたかったんだ。測量技師っていうのは
それほどシックじゃないからね。(笑)」
--今やあなたはすばらしい家に、使用人に、高級車を
手に入れたスノッブですよね。
「車はね、90年に交通事故を起こして以来運転して
いないし、もう興味がないんだ。でもパリオリに住んでいる
ということは、建築家の前にいるということだね。」
--高級住宅地ですね。まぎれもなく。
「なぜかと言うと、子供の頃わたしのおばがパリオリの
住宅のメイドをしていて、日曜日に家の主人が外出して
しまうと、その家に招待して部屋の中を案内してくれたんだ。
沢山の部屋に驚いたよ。それから年月が経って、わたしも
そこにたどり着いたというわけだ。」
古い不安を明らかにして、社会的な安全にたどり着いたのだ。
「棒高跳びのバーを飛び越えたみたいにね。」
(続く)
記事執筆:Letterina
翻訳協力:Pettinelli
CLAUDIO BAGLIONI NIPPON/クラウディオ・バリオーニ・ニッポン
